【第10回 全犬使会交流会 うるわしの信州長野大会】

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 この大会は、10回目で、過去最高の76頭の盲導犬が集いました。
 参加者もボランティアさんなどを含め、のべ約200人の盛大な大会となりました。

日程:5月29日から31日。

場所:長野市 松代町ほか。


●5月29日(土)

 待望の全国交流会の日、朝の5時前から起きて準備に余念が無く予定どおりに自宅を6時に出発した。
 昨日は寝過ごすことのないように早めに寝床に着いた。
 また、忘れ物など無いように全てチェックしておいたので、余裕をもって出発の朝を迎えることができた。
 気になる天気予報であるが、週末から雨天とのことであった。
 今日の空模様は、ちょっと曇り気味、今にも雨が降ってきそうだ。
 しかし、傘を持って行くことなどは考えていない。雨が降れば濡れれば良いという自然体で臨むのである。
 パトリックにはレインコートを用意しているので、特段の心配を抱いてはいない。

 7時31分発、新幹線のぞみ2号に乗車。
 週末、土曜日のせいもあって、自由席は、ほぼ満席のようであった。
 パトリックを後ろにして、空席を探しながら通路を歩いていると、「こちらが空いていますよ!」と声があった。
 もしかして座れないのではと思っていたので、これで無事に出発から座ることが出来た。(やれやれ。)
 幸い、となりの席の人は、犬嫌いではなかったので一安心というところだった。
 パトリックは、すぐさまおとなしく寝転がった。
 これで、名古屋に着くまでの2時間余り、一眠りすることにした。

 9時45分、名古屋駅に着いて10時発の「特急しなの7号」に乗り換えである。
 手配しておいた駅員さんの手際よい誘導により、発車時間の5分くらい前に乗車できた。
 この誘導がなければ、知らない場所での乗り継ぎには時間がかかって予定どおりには乗り換えなどできないのだ。いつもながら駅員さんの案内には、心から感謝の一言である。

 13時頃、自宅から、約7時間の旅の疲れなどもなく長野駅東口の受付に到着した。
 待機しておられたボランティアさんの案内で受付を済ませた後、私とパトリックの排便を済ませて、これで一息入れることができた。
 この後、バスに乗車して市内観光である。
 少しの乗車で目的地に到着。

 ボランティアさんの案内により善光寺周辺を散策。
 長野は広島よりも涼しいかと思っていたが、日差しが強く初日から蒸し暑いのには、ちょっと意外であった。
 途中、「抹茶アイス」をボランティアさんと一緒にいただいた。暑さの乾きを満たすにはこれに限る。本当に美味しいの一言!!
 パトリックは、抹茶アイスを恨めしそうに眺めていた。
 パトちゃん、もう少し「まっちゃ」って!?
 その後、しばらく歩いていると、水を飲ませる適当な場所があった。パトリックは、暑さで喉が渇いていたのだろう、うまそうに「ジャブジャブ」と飲んでいた。

 ここら当たりで、持参してきた新しいデジカメにより、善光寺の風景を写すことにした。(コンパクトなデジカメは3台目)
 ボランティアさんにカメラ背面の2.5インチ液晶ディスプレイで構図を確認してもらいながら何枚か撮影した。


★ 善光寺 について

 「牛に引かれて善光寺参り」で有名な善光寺は、古くから宗派の別なく庶民に親しまれてきた、一生に一度お参りをすれば極楽浄土に行けると伝えられ年間700万人ともいわれる多くの参拝者で賑わっている。
 日本最古の御仏を祀る善光寺は、日本を代表する霊場であり、約1400年の歴史を経て今日に至る。皇極天皇元年(642年)に創建。御本尊「一光三尊阿弥陀如来」は、インド・朝鮮半島百済国を経て、欽明天皇13年(522年)日本に渡られた三国伝来の御仏。
 善光寺はいずれの宗派にも属さず、すべての人の往生極楽の門として、広く深い親交を得ている。
善光寺の写真。



 14時半頃、善光寺裏駐車場 出発、次の目的地へ。

★ 大本営地下壕について、到着するまでにバス車内でのテープによる説明があった。

 松代「大本営跡」とは、日本の敗色が濃くなってきた第二次世界大戦末期の年1944年、日本陸軍は本土決戦を想定し、敵連合軍に最後の一撃を加え少しでも有利な条件で戦争を終わらせようと考え、大本営や天皇及び皇族など国の重要期間を東京から長野へ移す計画を極秘のうちに進めていた。
 工事は、長野市松代町の3カ所にある、象山・舞鶴山・皆神山を中心に地下壕を掘り、首都機能を移転させるという計画だった。
 1944年11月から、終戦まで約9ヶ月に渡り掘られた80%ができあがりその長さは総延長10kmを超えていたそうだ。
 工事には、動員された人々は日本人が3000人と7000人の朝鮮人が従事したとのこと。
 終戦でマツシロは幻の大本営となった。忘れ去られていた幻の大本営跡が平成2年に一部公開され現在に至っている。

 地下壕に入る前、全員が頭上の低いところがあるので、ヘルメットをかぶった。
 中に入ると外の蒸し暑さはなく涼しかった。
 歩く足元は、まるで砂利道のようであり、内壁を触らせてもらったが、デコボコの未完成のトンネルのような印象だった。
 この後、象山神社へ赴いて、バスに戻る途中、パトリックの排便を済ませた。

 16時半頃、信州松代ロイヤルホテル着。

★ 18時過ぎ、田中長野県知事の講演。

 田中康夫知事は、交流会のあいさつで、県動物愛護センター「ハローアニマル」(小諸市)の事業内容を大幅に見直し、民間と協力して盲導犬など身体障害者補助犬を育成する施設に改編する考えを示した。
 ハローアニマルについて「個々の職員は非常に意欲的だが、設立の経緯を含めて本来の動物愛護とはかけ離れている」と批判。「行政が費用をすべて賄うのは難しいが、近い将来、NPOなどと協力して盲導犬や聴導犬、介助犬を育成する場にすると約束する」と述べた。

 私はこの交流会の中で、田中長野県知事の講演を楽しみにしていた。
 補助犬や障害者の理解について、しっかりと勉強されている。
 ほとばしる知識と巧みな話術に思わずうなった。
 やはり、この男は、ただ者では無い。
 国会議員になって、国のリーダーになって欲しいと思うのは私だけだろうか?
 多忙なスケジュールのところでもあり、講演を終えると、そのまま退席された。
 その際、私の席の近く(3メートル)を歩かれたが、目と目がバチッ!!と合った。
 (違うかな?) (^_^)

★ 開会式 清水 会長ほか挨拶

 日本の盲導犬の歴史の中で、これほどの盲導犬が一堂に介したのは初めてであり、非常にうれしく思う。
 私達ユーザーが、より良い生活をするためにご支援していただいている多くの方々のご意志がある。そのことが大変な喜びです。
 この交流会の中で、しっかりとマナーの向上を図るとともに三日間、楽しく過ごしてもらいたいと思う。
 この大会を支えていただくボランティアの皆さん、ホテルの関係者の方々に感謝申し上げますと述べた。

 19時から約2時間、、交流会(ディナー)で、賑やかな一時を過ごした。


● 30日(日)

 8時過ぎ、観光バス4台に分乗してホテル出発。
 私は、1号車である。

★ 9時半頃、松代焼きの工房にて 湯飲み作り体験。

 松代焼は、現在よりさかのぼること200年、文化13年松代藩にて始まった焼き物で、最盛期には、その系統の窯が20を数え、松代焼きは信州を代表する民窯だったとのこと。

 その松代焼き・湯飲み作りに盲導犬ユーザー全員がチャレンジした。
 工房のそれぞれのテーブルに座り、湯飲み作りの説明を聞きながら、自力で作り上げる。
 原型に粘土を被せ、手のひらで圧しながら形作りをしていく。
 無心になって陶器作りに専念し、時間の過ぎるのを忘れてしまうほどであった。
 大体出来上がったところで、不用な飲み口の部分をカットしてもらい原型から外して、ほぼ完成である。
 この湯飲みは、工房のプロの手によって細かな修復と上薬、1200度の釜入れにより、一ヶ月ご、本人の自宅へ送っていただけるとのことである。
 どんな出来映えになったか、届くのが本当に待ち遠しい。

★ 11時頃、スパイラルそり体験
 スパイラル(長野市ボブスレー・リュージュパーク)にて。

 スパイラル(愛称)は、世界で最も南に位置し、アジア初の人工凍結方式によるボブスレー・リュージュ・スケルトンの兼用競技施設。
 長野オリンピックの基本理念である「自然との共存」をふまえ、コース冷却にはアンモニア間接冷却方式を採用し、地形改変を抑えるため、コース途中に2カ所の上り坂があるユニークなコースとなっている。
 また、表土復元、幼苗植栽による緑化など、環境と調和した施設である。

 このスパイラルそりの体験をさせてもらった。
 ソリの上に仰向けになって、両足の位置を固定し、寝そべった。その後、約10メートルくらいだったろうか? そのまま滑降した。
 なんか、あっという間の出来事ではあったが、なんとなくこの競技の感覚が分かったような気がした。

 その後、自然景勝地 戸隠バードライン 野鳥の歌声を耳に戸隠連峰を望む道からバスは到着した。
 戸隠 小鳥の森にて昼食。
 戸隠の恵みを、ギュッとお皿につめこんで、特製のつゆでいただくコシのある手打ちそばなどに舌鼓を打った。

 昼食後、少しの休息をおいて、次の目的地へ出発!

 飛騨・信濃路を通って、14時半頃、バスから下車すると、小雨が降っていた。

 野尻湖の遊覧船に乗船。

 野尻湖は、溶岩流でせき止められて出来た湖。
 湖周は約16kmで、県内では諏訪湖に次ぐ大きさ、信州では最北端の湖である。
 ワンちゃんなどペットOKの遊覧船。

 乗船してみて、湖だから当たり前かもしれないが、ほとんど揺れなどが無かった。
 パトリックは、時折、頭を持ち上げて、湖の景色を眺めていた。
 ボランティアさんから、「弁天島の前を運航していますよ、つりを楽しんでいる人もいます。」と言われたので、デジカメで数枚撮影した。
 野尻湖の写真。


 遊覧船を楽しんだ後一行は、あの「五木ひろし」で有名の「千曲川」(ちょっと古いかな?)を過去にして、5時頃、ホテルに無事到着した。
 18時から約2時間半まで、交流会・お楽しみ抽選会などで、大いに食べて、飲んで、賑わった。お腹は満足度100%だった。


● 31日(月)

 8時過ぎ、ホテル出発、
 9時20分頃、松代町並み散策
 松代城の見学は、松代小学校の五年生の案内などで、心温まる時を過ごした。

★ 松代城 について

 川中島合戦の武田信玄本陣。
 1553・年頃、武田信玄が北信濃制圧の根拠地として、地形をたくみにとりいれて築城。
 1561・年、上杉謙信とのあいだで戦われた川中島合戦では、武田信玄の本陣となった。当時は、海津城と呼ばれた。1603・年以降は松代城と名前が改められた。
 江戸時代は、真田10・万石の本城として、松代町の大部分を囲い込む壮大な規模を誇った。明治の廃藩により、城は取り壊され、本丸の石土塁だけが残った。
 付近には、真田邸や文武学校などが保存されている。

★ 11時頃、閉会式(清水会長他)
 来年の開催は、名古屋万博の期間中を予定、100頭の盲導犬参加を目指したいと力強く閉会の宣言をした。

 この後、バスに乗車して、最後の目的地へ向かった。
 あんずの里 アグリパークにてイチゴ狩り。
 パパイヤ・バナナ熱帯植物園にて昼食。

 14時前、長野駅に到着。
 バスから降りると、外は少し強い雨が降っていた。
 ボランティアさんに近くの駐車場まで案内していただき、パトリックの排便を済ませた。
 発車時間までは、30分以上あった。ボランティアさんが、ホームまで案内してくださった。帰宅の見送りまで付き添っていただき、心から感謝し、胸が熱くなった。

 14時50分発、特急「しなの18号」乗車。
 名古屋に着く頃に豪雨のため、40分くらい遅れた。
 このため、予定の「のぞみ27号」には間に合わなかったが、次の18時半発、博多行き「のぞみ29号」に乗車することができた。

 ここから広島に帰宅するまで単独行動になったが、何故か「もどかしさ」をつのらせることは、ほとんど無かった。
 パトリックと一緒にいるだけで、寂しさや不安から解放してくれる。
 それこそが一番の安心なのだ。
 20時51分、広島駅着。
 この後、在来線に乗り換え、自宅に帰ったのは、21時半頃だった。

 結局、雨に濡れて悩まされるということは無く有意義な三日間であったし、交流会の期間中にパトリックのスキルアップを果たすこともできたのは、非常に大きなメリットがあった。
 紆余曲折を経て信州の旅を無事に帰還できたことは、ひとえにパトリックとの歩行の安心を確率できたという実感と「信頼のきずな」があってのものだ。
 いつもながら思うのは、出会いがあって別れがある。心の中に残った良い思い出は、いつまでも消えることはないだろう。

 こうして、新たな思い出づくりの旅のページが追加されたのであった。

 めでたし、めでたし!

 おわりに、今回をもって「思い出づくりの旅のコーナー」は、休止することにしました。
 といっても、パトリックとの旅は、これからもまだまだ続きますよ。
 「新たな思い出づくりの旅」については、機械があれば再会するかもしれません? (^_^)

 それまで、皆さん、さようなら!!



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