終章  協会を支える人びと



 
【終 章  協会を支える人びと】



 
「「「すそ野に広がる善意「「「



@ 八十人のボランティア A 小遣いの一割 B 三人の義兄弟 C つづく「楽道閑居」


八十人のボランティア


 盲導犬の育成事業は“やさしさのピラミッド”の上に築かれる、と書いた。トップに立つのは緒方理事長だが、それを支えるのは無数の人びとの協力である。そんなピラミッドのすそ野に広がる“善意の人々”を紹介したい。
 まず、福岡盲導犬協会の手となり足となって日夜、動き回って奉仕活動をしている約八十人のボランティアを挙げねばならない。繁殖ボランティア十人、飼育ボランティア(パピーウォーカー)二十五人、引退犬ボランティア五人、啓発ボランティア二十六人、給食ボランティア十人……。
 盲導犬への理解とPRが仕事の啓発ボランティアの一人、木村庸雄さんは東京の証券会社の社員だったが七年前、定年で故郷の前原市に帰り、訓練センターの存在を知った。犬好きではあったが、妻をガンで失った体験が木村さんを、いつからか、困っている人の心を癒したいと願う奉仕者にしていた。
 木村さんは荒れていたセンター周りの庭木の手入れを始めた。犬舎周辺の大工仕事へと手を広げ、今では小中学校や社会福祉協議会の各行事に出掛けて盲導犬のPRに務める。PRの講演に行くために前日、訓練センターまで足を運んで盲導犬を借りて来る。そして翌日は返しに行く。一回の講演をするため三日つぶれることになる。それを年間約三十回ほど実施する。大変な苦労である。それもこれも参加者に呼びかけ、協会への寄付を一円でも多く集めるためだ。もちろん講演料は寄付する。
 給食ボランティアは訓練センターの見学者、犬との共同訓練に入った視覚障害者たちのためにカレー、チャーハン、豚汁などの食事を提供する。これも私生活を犠牲にするが、協会の欠かせない仕事である。
 この他、雨の日に盲導犬の体が冷えないように手作り合羽をせっせと縫う人たち、引退した盲導犬を「もう甘やかしてもよかろう」とステーキなどを与えて長い間の苦労に報いる人たちと、ボランティアのやさしさは形こそ違え、協会の周辺に満ちている。



小遣いの一割


 次に、営々と浄財を寄付しつづける草の根の人びとがいる。
 協会が年二回、発行する協会報には毎回、寄付者の名が一人漏らさず掲載される。最近号を見ると、最高一千万円から千円程度まで約六百人の名前が並んでいる。
 一千万円を寄付した福岡市の岩本英子さんは、今は会社社長として成功した人だが、自分の成功は戦後に味わった貧困と大病という試練があったればこそという思いから「視覚障害者の方々に元気を出してもらいたい」と高額の寄付をした。自分も緑内障のつらい体験を持つ。ちなみに個人の最高寄付額は北九州市門司区の堂本緑さんの一千五百万円。
 だが寄付者の多くは名もなき人たちである。小学生がいる、町内会もある、教会もある、スナックもある、八百屋さんもいる、家族連名もある。『勝手連』とか『いつものメンバー』という名もあるが、何回つづけている人たちだろうか。匿名も多い。その一つ一つに、それぞれの思いが隠されていることだろう。
 なけなしのお金を差し出す人びとの動機はさまざまだ。盲導犬を街で見て感動したという人もおれば、「寄付は金額より継続することに意味がある」と書いて毎月三千円を送って来るサラリーマンもいる。三千円は小遣いの一割相当分だという。
 これは東京での話だが「わたしの老後をなぐさめてくれたのは、子どもたちより愛犬でした。遺産の一部は協会に寄付します」と遺書にしたためたお年寄りもいた。人は死期が近づくと、過ぎ来し方を振り返り、なんらかの奉仕を思い立つのだろう。協会報の寄贈者リストの中にも「遺贈」というのが目につく。
 ちなみにイギリスの盲導犬協会の収入の大きな割合を占めるのは遺産の寄付という。人と犬のきずながもっと深くなってくると、わが国でも遺産の寄付が多くなることが予想されるが、まだ先のことだろう。
 一人一人の寄付者の名前を眺めていると、盲導犬育成という事業が、草の根の市民の協力によって維持されていることが伝わってくる。一般の人びとの草の根の善意というものは、当てにならないようで、実は根強いものがある。少しずつの浄財が積みかさなって、毎年、四、五千万の浄財になるのである。行政の助成金も必要だが、だっこにおんぶで、それに頼りきっていたら、ここまでやってこれただろうかとさえ思えてくる。
 あれほど施設やスタッフが充実し、リッチな運営をしているアメリカやイギリスの盲導犬協会でも、国からの助成はほとんどなく、すべて市民の善意の寄付である。国が育てるのではなく、市民の心で育てられる盲導犬。これは世界共通である。だから盲導犬育成の事業はすばらしいし、悩みもまたそこにある。
 大衆の、この支えがあるかぎり福岡盲導犬協会の前途は心配ないのではないかと思うのである。



三人の義兄弟


 緒方が「三人の義兄弟」という四十年来の友人、草場只四、百田正行さんの二人も心強い味方である。深見興産の社長、深見陽一さんらを加え、とくに経済的な助力は大きいものがあった。
 草場は福岡市長浜の不動産業、鳩文堂の社長として、貸しビル、駐車場を経営するかたわら協会理事として緒方を助けてきた。緒方が正金相銀にいたころからの付き合いで、いまは病床にある。
 草場が緒方とバスに乗り合わせたことがある。緒方の上着の袖につぎが当たっている。そのせいか、いつもより老けて見えた。草場は、その日、妻に言って、背広を買い送っている。
 福岡市薬院の百田興産の社長だった百田はすでに亡くなったが、その息子の百田孝志さんが協会相談役として援助をつづけている。
 福岡盲導犬協会の年間予算は約六千万円。そのうち福岡県、福岡市、北九州市をはじめ福岡盲導犬協会に育成を委託している佐賀、長崎、熊本県など行政からの補助が千五百万円、残りは寄付でという善意頼みの資金計画だが、その内のかなりの部分を、これらの友人に頼っている。緒方が地元財界の七社会に「協会の運営費は迷惑かけない」といえたのも、そんな個人的つながりの支持者を持っているからだ。
 福岡盲導犬協会の役員名簿を見ると知名士がずらりと並ぶ。副理事長が石村貞雄の息子の一明(元福岡市議会議長)、理事には緒方と同郷の福田利光西日本新聞社相談役、田尻英幹西部ガス会長、稲田朝次元九大教授ら。監事、顧問には九州電力をはじめ主要地場銀行、企業のトップ級のほか西島伊三雄さんらの名もある。財界人が多いのが福岡の特色だ。(「関連資料」の項に役員名簿を掲載)
 以前は協会の方から「役員になって下さい」とお願いしたものだが、最近は企業の方がフィランソロピー(企業などの社会奉仕)に関心を示し、積極的に協力するところが出てきた。会社のイメージアップになるという思いもあるようだ。 しかし長い不況がつづく今日、企業や団体の協力は、これからもあまり期待はできない。行政の補助も限りがある。ライオンズなど一部の団体の奉仕精神や緒方を取り巻く人たちの友情に支えられた運営が当分はつづきそうである。
 理事長の側にいて補佐しているのは、協会の事務を一手に引き受ける大山徳治郎常務理事である。
 「相手を手こずらせるほどの無口だが、事務にかけては人の三倍は仕事をしてくれる。彼なくしては、やっていけない」
と緒方は感謝する。もう八十歳に近く、目も悪いが、こつこつと仕事をこなす。給料を上げようといっても、自分より訓練士を先に、という。
 桜井昭生訓練センター所長を紹介したさい、盲導犬の育成にたずさわっている人は、なぜか無口で、ひたむきな人が多いと書いたが、大山もまた典型的な、そんな人物である。
 協会の協力者はまだ他にも多い。
 「大変な数の人のお世話になったが、年をとって、もうあまり思い出せない」といった後、緒方は「もう一人、おった」
 緒方は明治大学に学んだ東京時代、貝島義之氏の縁で房子さんの家に何度か出かけて知り合った。房子さんはまだ女学校の生徒。結婚することになろうとは考えてもいなかった。中国にいたころ家から送ってきたお嫁候補の写真のなかに見違えるほど美しく、大人になった房子さんがいた。
 「家内には、ずいぶんと苦労をかけてしまった。昔のことを思い出すと、なおさらです。なんとかやってこれたのも、みな家内のおかげです」
 五十余年の苦楽を共にした妻に言葉少なに感謝する緒方である。舞鶴ライオネスクラブ会長なども務めた房子さんに夫の内側の顔を教えてと頼んだが「身内のことですから」とやんわり断られた。

 また、一番新しく相談役に名をつらねた筑紫野市の不動産会社、青山地建社長の青山義雄さんのように「緒方さんに惚れた」といって、これまでに二頭分を寄付した人もいる。
 小さいときに父を失った青山は、苦労して今の会社を作り上げたが、わが国ではまだ地位の低い不動産業界のイメージをよりよくしたいと盲導犬育成への奉仕を心がけてきた。「視力ファースト」をスローガンとするライオンズ会員でもある。緒方と会い、淡々として視覚障害者福祉につとめる姿に打たれ、即座に犬の寄贈を申し出た。今では緒方を「おやじ」と呼んで慕っているが、ゆくゆくは自分も故郷の岡山で盲導犬育成の仕事をしようと願っている。



つづく『楽道閑居』


 敬愛する故人、貝島義之氏は緒方にライオンズクラブへの入会を勧めた人物だが
 「ライオンズクラブは企業論理と相反する団体だ。だからこそ企業人はすすんでライオンズクラブに入会せよ」といったという。
 企業人は儲けに精を出すだけでなく、利益を社会に還元してこそ企業人といえる、と戒めたのだろう。緒方は、その教えに従って入会したが、今では
 「企業活動と奉仕は矛盾しない。社会あっての企業でしょう。社会から遊離した企業が栄えたためしはない。だから企業論理と社会奉仕活動は相通じるもの」と考えている。
 緒方はライオンズクラブの大久保彦左衛門を自称する。最近の一部の会員の態度をきびしく批判する。名誉欲が目につくという。多くの人の無償の奉仕を見てきただけに、その思いはひときわ強いのだろう。
 「人間、金が自由になると次は名誉が欲しくなる。名誉が欲しいから寄付などをする。それではさびしい」
 緒方はこれまで六、七十人の就職の世話をしてきた。今もよく頼まれる。本人や親はもちろん喜ぶが、自分が一番うれしいという。
 「自分も世話になってきたから、お返しができるのがうれしか。そのうれしさは年をとるにつれて段々強うなってきた」
 考えてみれば、初代の鶴理事長は地元銀行のトップとして財界を動かしながら活動してきたが、緒方のやり方は多分に知人、友人頼みの感じがある。協会のこれからの発展のためには、それが一つの制約にならないか、緒方が引いたあとは大丈夫か、もっと組織的な運営が必要だと助言する人もいる。ほかの協会のよい所はどんどん取り入れて、二十一世紀にふさわしい盲導犬育成にしていくべきだろう。今後の課題である。
 高齢社会を迎えて介護の問題がクローズアップされている。だれが高齢者や心身障害者の手助けをするか。視覚障害者に限ってみても、糖尿病、脳血管障害、緑内障などのお年寄りに多い病気に加えて交通事故、労災事故などの増加で、こんごも増えつづけるに違いない。視覚障害者の八割は中途失明者である。自立のために盲導犬育成はますます必要な事業になっていくだろう。
 緒方の当面の目標は二つある。まず仕事の目標は、訓練士を充実すること。より好品種の盲導犬を育てること。そして、生活上の戒めも忘れない。一つ、老人は肩書でも資格でもない。一つ、与えよ、与えられるな。
 この目標に向かって『楽道閑居』『無私是獅子道』(緒方が年賀状によく書く言葉)の歩みはつづくことだろう。


next 次のページへ。


目次へ  目次へ戻る。


トップページへ戻る トップページへ戻る。




★ Copyright(C) 2001-2006 無断転載を禁じます